白き虫

空を見ると,まれに白き線がうねることがある。それは白き虫と呼ばれ,かつて強大な力を持った獣の生き残りである。

白き虫は何よりも弱く,臆病だ。普段は雲の中に隠れ,空腹が極まると,地上にやってきては他の生き物が食い散らかした屑や,死体をあさる。なわばりを荒らされた動物に追いたてられることも珍しくない。しかし危険を感じた虫は,その細い身体がみるみる薄まっていき,霧のように姿を消してしまう。

そんな虫にも輝ける時代があった。その昔,白き虫は「白き獣」と呼ばれていた。彼らは光きらめくウロコを持ち,大空の主として君臨していたのだ。その咆哮は大地を揺らし,ひとたび怒れば雷鳴が地の底まで貫いた。誰もが白き獣を畏怖し,守り神として信仰する人々さえいた。

あるとき白き獣に抗う戦士が現れた。きっかけは生贄をさしだすことを拒んだ集落が獣によって滅ぼされたことにある。戦士は大空を舞う獣の圧倒的な力になすすべなく打ち倒された。だがその勇気に心を奮わされた人々によって,獣は畏怖すべき対象から克服すべき障壁として姿を変えていった。

もともと白き獣にとって人は取るに足らない塵でしかなかった。それまでの人間が持ちうるいかなる攻撃も,ウロコを傷つけることさえできなかったからだ。しかし人々は絶えず獣に挑戦し,わずかな手がかりをもとに,少しずつではあるものの,確実に白き獣の性質を暴いていった。

そして数えきれないほど多くの命を失って後,ついに人々は白き獣の一体を倒した。倒した獣のウロコは英雄の証として重んじられ,丁重に葬られた。次第に戦術は洗練されていき,次々と白き獣を倒すようになった。輝くウロコを持つ者は尊敬され,栄光にあやかろうとより多くの戦士を呼んだ。

白き獣達はこれまでに感じたことのない不思議な感覚を得た。身体が強張り,その場に留まっていられなくなるのだ。そこではじめて獣達は,自身が感じているものが焦りだと知った。天空の覇者が下等な存在に攻められることなどこれまでになく,その事実を受け入れることは決してできなかったのだ。

白き獣は自らを生み出した神の下を訪れ,力を求めた。何ものにも傷つけられることのない身体と,いかなる敵をも屈服させられるだけの力を。神は願いを聞き入れた。以前とは比べ物にならないほどの強大な力を得て,白き獣は人間達を蹂躙した。間もなく世界はかつての平穏を取り戻すだろう。獣達は思った。

攻撃が全く通用しなくなった人々はなすすべなく倒されていった。そして白き獣がより強力になったことを知った。白き獣は自らの力を試すかのように人々の命を奪っていった。生き残った人々には,それが遊びで命を奪っているかのように感じられた。

狂おしいほどの憎悪。白き獣はもはや克服すべき障壁ではなく,たとえ全ての人が滅びようと根絶やしにすべき敵となった。血が音をたてて煮えたぎるかのような執念。その前ではいかなる強固な鎧も無力であった。

白き獣はいかなる攻撃も通さないウロコと,どんな敵でも倒せるだけの力を得たはずだった。だが,彼らは力を得る前よりもはるかに速くその数を減らしていった。

数千の屍をひきかえに獣が葬られていったが,人々はその犠牲の多さに萎縮することなど微塵もなく,苛烈に攻撃を繰り返した。獣のなきがらは進む人々の汚れた靴で踏まれ,煤けたウロコが風に舞った。

白き獣は再び神の下を訪れた。しかし自らの神は求めたものしか与えられない。決して貫かれることのないはずのウロコさえも無力とする人間を相手に,いったいどのような力を求めればよいというのか。

幾つもの時を経て,白き獣は姿を消した。そのなれの果てとしてわずかに生き残ったのは,誇りなど微塵もなく,殆どの白き獣が決して持つことのなかった「恐れ」を持つものだけだった。

— 了 —

この物語はフィクションであり,実在の人物・団体とは一切関係ありません。

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